2007年03月27日

終わっているか?

安倍が過去の話と今の話しでは違うと述べたようだが、はたして、過去の話だろうか?

「安倍首相は26日夜、米紙ワシントン・ポストから拉致問題には熱心な一方で従軍慰安婦問題の責任を回避していると批判されたことに対し「全く別の問題だ」と反論した。首相は「いま従軍慰安婦の問題は、続いているわけではない。拉致問題は、まだ日本人が拉致されたままという状況が続いている」と述べ、拉致問題解決に尽力する必要性を強調した。国会内で記者団の質問に答えた。」AOLニュース3月26日22時12分より

拉致問題も終わっていないが、従軍慰安婦問題も終わっていない。それどころか、多くの人の苦難は続いているし、今また、こうした安倍の発言によって新たな問題がつくられた。その苦難を無視することで傷つけていくのだ。
これは、拉致された人やその家族にとっても安倍の冷たさを想像させる。仮に帰国が実現したら終わった問題と言い出すに違いない。
安倍は過去をなんら引き受けないつもりらしい。だから、ダブル・トークと言われるのだ。ワシントンポストの指摘の正しさを証明してしまった。
たしかに、××はポケットに隠せない。  

Posted by mc1026 at 09:27

2007年03月11日

自由への抑圧

記事にもあるように、東京都教委は異端排除のナチス思想。
これでは自由の精神は育てられない。
安倍内閣のように事実を受け入れることもできない。自由への抑圧の事実を積み重ねた。
都教委や安倍等は、従軍慰安婦問題と同じで、自分たちの記録には自由への抑圧を行ったと記さないだろうから、「自由への抑圧の直接的な関与はなかった」というかもしれない。しかし、これは、紛れもない自由への抑圧だ。

卒業式来賓、校長が選別 都立高 恩師も「お断り」
2007年03月10日19時57分
 今春の東京都立高校の卒業式で、恩師たちが来賓として出席できない事態が相次いでいる。式典で君が代斉唱時の不起立が問題になるなか、中村正彦・都教育長が昨年3月の都議会で、来賓について「校長が慎重に検討し、適切に人選するよう各校に指導する」と答弁し、校長が来賓を選別したためだ。
 「お世話になった先生なのに、何で入れないの」。3日、都立向島商業高校定時制の卒業式。産休代替の先生として教わった女性が出席を拒まれたと知った卒業生たちが声を上げた。
石関元・校長に掛け合った保護者もいたが、取り合ってもらえなかったという。これに納得しない一部の卒業生が入場を拒み、開始が8分ほど遅れた。昨年度までは、他校に転勤しても来賓として出席した。だが、今春は、元担任ら7人は招待されたが、この女性ら2人は出られなかった。石関校長は「教育長の答弁を受け、校長の権限でやった。一緒に厳粛な式をやってきた先生となら、式を適正にできると考えた」と話す。

 都立久留米高校では、04年春まで務めた前校長、渡部謙一さん(63)の招待が取り消された。   渡部さんによると、今年1月末、現在の堂山勇校長から「出席しないでほしい」と電話で要請された。堂山校長は渡部さんに「都教委の方針に従わない者を呼ぶことが都議会で問題になった」と説明。渡部さんが市民団体の集会で講演し、朝日新聞の「私の視点」に寄稿したことが都教委で問題にされていると告げたという。   渡部さんは「東京の教育行政は徹底して異論を排除しようとしている」。
  

Posted by mc1026 at 07:28

2007年03月09日

なぜ直視しないか

日本軍の従軍慰安婦問題を安倍はなぜ直視できないのだろう。
この問題にも責任のあった戦犯容疑者の孫だと思っているからだろうか。祖父の行ったことに孫だからといって直ちに責任があるわけではない。反対に、祖父たちの行ったことと判断に批判的な見地と行動をとることによって、彼らの犯罪によって犠牲となった人びとと共に生きる世界にあることができる。
祖父たちは悪くないと言ってしまえば、祖父たちと同じ加害者となって、新たな罪科を背負うことに安倍がなってしまう。
すでに、読売の報道によれば、アメリカの議会で従軍慰安婦問題の決議に反対していた「同小委員会の公聴会で唯一、決議案に反対する考えを公言していた共和党のダナ・ローラバッカー議員は7日、報道担当者を通じ、賛成に回る考えを表明。慰安婦問題をめぐる首相の発言を踏まえて考えを変えたという。(2007年3月9日3時3分 読売新聞)」という。
このように、歪めると不名誉となり批判者を増やしてしまう。事実を直視することの方が名誉となるのだ。歴史を歪曲してはならない。  

Posted by mc1026 at 07:19

2007年03月05日

発展とは

新聞記事、たぶん朝日の07年3月5日から。
「談合は、栄—池下間が着工された58年以来、6号線延伸工事が始まる05年末までの47年間も続いたことになる。
 別の準大手ゼネコン幹部は「ゼネコンの規模や受注実績に応じて工事を分け合うことが業界の発展につながっていた」と説明している。」
業界の発展と発言したんだ。
きわめて変だと思う。確か、名古屋の地下鉄や市バスは営業赤字だったはず。赤字が増えているのは、談合によって不当な金額で工事を行った所為でもあるはずだ。
すると、業界の発展とは、税金の詐取を意味する。
ゼネコン企業とは、詐取専門株式会社ということになるんじゃないか。
詐取会社と認めるなら「発展」でもいいけれど、もしそうじゃないというなら「発展」ではないだろう。まっとうなら「業界の腐敗」というべきだろう。発言した人もゼネコンで腐敗体質となり、言語の使用においても誤用をきたしたのかもしれないが。
新聞は証言の言葉をそのまま記すことが必要だが、同時に、その言葉が適切かどうかちょっとは思考したらいいとも思われた。  

Posted by mc1026 at 06:57

2007年02月27日

思想の自由

最高裁が君が代伴奏命令を合憲とした。
新聞によれば、以下の理由によるという。
第三小法廷は、伴奏命令は(1)「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」とする教諭の歴史観・世界観自体を否定しない(2)特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではないと述べた。命令当時、君が代斉唱が広く行われていた▽憲法は公務員は全体の奉仕者と定めており、地方公務員は法令や職務命令に従わなければならない立場にある、とも指摘した。
 教諭は99年の入学式で校長に君が代の伴奏を命じられたが、「思想・信条上できない」と拒否。斉唱は用意されたテープによる伴奏で行われた。
 小法廷の意見は割れた。「卒業式の秩序維持」を強調する補足意見が出る一方、藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた。

二番目の理由が最悪だ。これでは、思想信条の自由は心の内側にのみ認められることになってしまう。これでは自由は守れない。どんな強制をしても自由を侵害することがなくなる論理だ。
藤田裁判官のみを支持したい。
最高裁は、産経新聞の主張並みの判断力だ。  

Posted by mc1026 at 22:26

2007年02月17日

刊行中止

プリンセス・マサコの翻訳が刊行中止になった。
講談社の言い分では著者との信頼関係が維持できないとか、刊行後に起こるだろう出来事に責任が持てないなどと報道されている。
これに対して原作者は、「宮内庁や外務省の圧力に出版社が屈したんだ」と述べている。この判断は、証拠がないけど、それしかないと思う。このように話題になっている以上相当部数の販売が見込めるにもかかわらず発刊しない理由は、それしかない。出版社というのは、売れさえすれば身売りはいくらでもする。
特に、講談社は、戦前からそうした実績を持つ会社だ。佐藤卓己の『言論統制』を見ると軍に取り入って紙を調達し総合雑誌であった「現代」を刊行し続けた。この時にも軍に擦り寄りながら保身しつつ加担した。
今回も、講談社が発行している保守系週刊誌と地続きの側が利益を諦めても、権力に擦り寄っておくことが利益と踏んだと見てもおかしくないだろう。この掴み方は広く沈殿していく。  

Posted by mc1026 at 09:47

2007年02月13日

普通の眼差し

元特派員の出版した「プリンセス・マサコ」に宮内庁・外務省が抗議をしたと報道されている。
その翻訳本は今週末に刊行されるらしいので、中身は知らない。新聞記事に例示されている程度の記述しかしらない。
「皇室の仕事は形式的な楽な仕事だ」というようなことが記されているらしい。
その仕事について、ご挨拶、食事会、見学の連続と、普通の人は理解していると思う。
本当は、子どもをつくることがはずせない仕事になっているけど。
ともかく、以上のことを庶民からすると、気疲れのする作業だと思うと同時に、普通の感覚からすると、まあ形式的だとか楽な仕事と思うのはさほど無理のない掴み方に見える。
やりがいのある仕事かどうかという点で、一つの観点としては、?がつくのはこれまた自然に見える。
だから、抗議するようなことじゃないだろうと思う。
他に抗議したくなるような記述があったというのだろうか。
翻訳本くらい立ち読みしてみよう。  

Posted by mc1026 at 21:19

2007年02月07日

偽の残業割り増しアップ

一部、報道機関が残業代の割増率をアップすると与党が決めたと報道しているが、その中身を見ると、これはインチキだ。
現行制度では、残業時間の長さに関係なく、割増率は一律25%となっている。

「改正案では、残業時間に応じて割増率を3段階に分け、〈1〉残業時間が月45時間までならば割増率は25%とする〈2〉45〜80時間ならば25%以上とするよう努力する〈3〉月80時間を超えたら50%とする——と定める。政府・与党は割増率の引き上げが長時間労働の抑制につながるとしている。」

これだと、割り増しが適用される人は非常に少なくて、月に80時間を超える残業が合法化され、さらに、その時間数は、過労死もあるほどの時間だ。
無条件に50%アップでないやり方はひどすぎる。  

Posted by mc1026 at 07:31

2007年02月01日

自己認識

伊吹文科大臣は、12月に以下のように言っていた。
「公共の精神等、日本人が持っていた「規範意識」を大切に、それらを醸成してきた伝統と文化の尊重など、教育の目標として今日特に重要と考えられる事柄を新たに定めています。」
その後、事務所費の経理などが不正らしい。
だから、「日本人が持っていた」と過去形で正しくも述べたわけだ。自らの「規範意識」の欠如を基準に談話を出すところがえらい!
そういえば、柳沢さんも、その任命責任も果たそうとしない安倍さんも、同じ団体に所属していた。だから、危機感を持っていたわけだ。「規範意識」が欠如していると。
そう言えば、国に税金を納めたくないと言う人びともお金持ちばっかりだ。だから、愛国心についても心配していたわけだ。
その点、貧乏人は、愛国心はあるけど、払う金がないだけだ。

ところで、それなら、新教育基本法も、収入によってその法律を適用される人と適用除外の人とをつくる条項を設けておけば、格差社会に相応しい法律にさらに仕上がったきがする。
誠に残念。  

Posted by mc1026 at 17:45

2007年01月04日

中性が帝国

結構、中性もしくは中立的な言葉だと理解していた単語が実は、そんなことはないのだと知った。言葉の使われ方の歴史を辿ってみることは重要だなと思った。
それは、「日本語」という言葉だ。
国語という言い方よりずっと中性的・中立的なはずだろう。
国語というと、そこに近代国家があり、国家語を定めることによって、国家語とされたものとそれ以外という関係がつくられ、そこに権力関係があるからだ。例えば、標準語と方言のような関係だ。
それに比べて、日本語と言ってしまえば、その地域で流通しているという程度の意味となるし、国籍や国家から独立して用いることが可能な印象があったからだ。
しかし、日本語という言い方は、日本が台湾や朝鮮、そして満州を占領したりする時期に流通しはじめたものらしい。つまり、内地と植民地という区分が登場する中で「日本語」が意識され流通したらしい。だから、帝国の言葉だったわけだ。
だから、国語はきわめて近代国家に染め上げられた言葉だが、日本語もそれ以上の言葉だったのである。
中立風に語られる言葉には注意が必要だ、という教訓。  

Posted by mc1026 at 16:00

2006年12月16日

談話に

伊吹文科大臣が以下のような談話を発表している。
公共の精神等、日本人が持っていた「規範意識」を大切に、それらを醸成してきた伝統と文化の尊重など、教育の目標として今日特に重要と考えられる事柄を新たに定めています。
中略
国民の皆様の共通の理解を得ながら、学校・家庭・地域社会が一体となって教育改革を推進していくためにも、教育関係者、保護者の皆様をはじめ、国民各界各層の皆様のご協力を切にお願いします。
さて、このお願い聞いてあげるのかどうか。
聞いてあげるには、「教育の目標として今日特に重要と考えられる事柄を新に定め」たというのだが、特に重要であるという説明はなかった。欧米の教育の方向はそれを示していなかった。なぜ、日本だけ重要なんだろう。この問いに文科大臣が先に応える必要があるかな。
また、前から指摘されているように、日本人が持っていた「規範意識」というのは何を指すのか。「やらせ」や「さくら」の動員ということだろうか。「持っていた」と過去形だから、今はだれも持っていないのだろうから証明は困難を極めるかもしれない。
共通理解を得るにあたって、「やらせ」「さくら」といった手法を首相等が100万か200万で決着をつけずに、即座に総辞職し、かつ二度と行わないための手立てが明示される必要があるだろう。このハードルを越えないといけない。  

Posted by mc1026 at 15:01

2006年12月09日

イラク研究グループ提案の波紋

米国の長老グループがブッシュのイラク政策を修正する助け船となるような79項目の提案を発表した。イラク政府に圧力をかけて、部分的にイラクから撤退するという案だ。
完全に撤退するわけでもないし、イラク戦争の間違いを訂正するわけでもない。
困り果てているブッシュが政策をほんの少し変える契機にはなるかもしれない。
そんな程度の内容なのだが、久間防衛庁長官のように、イラク戦争への加担に何でもかんでも賛成した小泉や安倍とは違う反応も誘発しだした。
いつまでもイラクに足をつっこんでいることへの不安を表明したのかもしれない。
知性を排除した政権というのは、内外の迷惑だ。
それで、いま、政権や関連審議会に知性はいるのだろうか。
ソープ・オペラ水準じゃないのだろうか。  

Posted by mc1026 at 20:49

2006年12月02日

政治的流行語大賞

今年度の流行語大賞が、「イナバウアー」と、藤原正彦の「品格」になった。
まったく政治的な選択だ。
流行が政治的決定事項だということが今年も証明された。  

Posted by mc1026 at 07:56

2006年11月28日

女流棋士会独立

朝日新聞の報道によれば、「将棋の「女流棋士会」の役員が、所属する日本将棋連盟から独立する意向を固め、意見の取りまとめのため、12月1日に臨時総会を開くことが25日わかった。「独立」でまとまれば将棋連盟と協議するという。」

将棋連盟理事会側からの働きかけがあって、独立の動きが生まれ、それを女流棋士会で追認していく見込み、そう言う報道のニュアンスとなっている。この経緯が事実かどうか分からないし、独立とは何を指すのかが必ずしも明確でない。だから断定的なことは言えない。
だが、独立は、これまで従属的地位にあったことを考えれば、苦難はあったとしても積極面があると考えられる。記事にもあるように事業など運営において成功を収めれば、経済的に豊かになると考えられるからだ。
しかし、他方で、将棋の場合、強弱ということがある。今のところまだ、格差がある。これが分離することで、トップとなることへの道が閉ざされると考えることもできる。分離して格差を固定化する道となるかもしれない。そう考えるのは、将棋連盟の会長がひどい人物が務めているという事実による。この差別主義者のもとでの発想ではないだろうか。そんな気がした。  

Posted by mc1026 at 09:40

2006年11月21日

肯定と否定

下記の記事を一つの観点から肯定と否定で読み解いてみよう。
小樽潮陵高(大沼寛校長)が、二年生の必修科目である「現代社会(現社)」の授業を「政治経済(政経)」の教科書で行っていた問題で、道教委は二十日までに授業内容を精査し、「『現社』の内容を網羅している」として履修漏れには当たらないと判断した。
(北海道新聞2006.11.21より)
1.通常、厳しい教科書使用統制がある中で、別の科目の教科書を承認した点は、教育自由という点から見ると肯定。
2.しかし、この判断は、これ以上の補習を増やしたくないという動因からだから、その動機の不純さ故に否定。
3.だかそれでも、教科書の使用が必ずしも義務でないことを当の教育委員会の側が承認した事実は今後の教育の自由にとって肯定。
4.それでも、その適否を教育委員会が判断主体として登場しているのは、教育への権力的介入と判断することもできるので、否定。

とりあえずそんなことが考えられる。  

Posted by mc1026 at 17:52

2006年11月17日

なぜ焦点

目的を限定しないブログを設置し、時々の必要に応じて、つまり関心の変化に応じて利用してみたい。  

Posted by mc1026 at 08:44
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