2006年11月28日
女流棋士会独立
朝日新聞の報道によれば、「将棋の「女流棋士会」の役員が、所属する日本将棋連盟から独立する意向を固め、意見の取りまとめのため、12月1日に臨時総会を開くことが25日わかった。「独立」でまとまれば将棋連盟と協議するという。」
将棋連盟理事会側からの働きかけがあって、独立の動きが生まれ、それを女流棋士会で追認していく見込み、そう言う報道のニュアンスとなっている。この経緯が事実かどうか分からないし、独立とは何を指すのかが必ずしも明確でない。だから断定的なことは言えない。
だが、独立は、これまで従属的地位にあったことを考えれば、苦難はあったとしても積極面があると考えられる。記事にもあるように事業など運営において成功を収めれば、経済的に豊かになると考えられるからだ。
しかし、他方で、将棋の場合、強弱ということがある。今のところまだ、格差がある。これが分離することで、トップとなることへの道が閉ざされると考えることもできる。分離して格差を固定化する道となるかもしれない。そう考えるのは、将棋連盟の会長がひどい人物が務めているという事実による。この差別主義者のもとでの発想ではないだろうか。そんな気がした。
将棋連盟理事会側からの働きかけがあって、独立の動きが生まれ、それを女流棋士会で追認していく見込み、そう言う報道のニュアンスとなっている。この経緯が事実かどうか分からないし、独立とは何を指すのかが必ずしも明確でない。だから断定的なことは言えない。
だが、独立は、これまで従属的地位にあったことを考えれば、苦難はあったとしても積極面があると考えられる。記事にもあるように事業など運営において成功を収めれば、経済的に豊かになると考えられるからだ。
しかし、他方で、将棋の場合、強弱ということがある。今のところまだ、格差がある。これが分離することで、トップとなることへの道が閉ざされると考えることもできる。分離して格差を固定化する道となるかもしれない。そう考えるのは、将棋連盟の会長がひどい人物が務めているという事実による。この差別主義者のもとでの発想ではないだろうか。そんな気がした。
Posted by mc1026 at
09:40
2006年11月21日
肯定と否定
下記の記事を一つの観点から肯定と否定で読み解いてみよう。
1.通常、厳しい教科書使用統制がある中で、別の科目の教科書を承認した点は、教育自由という点から見ると肯定。
2.しかし、この判断は、これ以上の補習を増やしたくないという動因からだから、その動機の不純さ故に否定。
3.だかそれでも、教科書の使用が必ずしも義務でないことを当の教育委員会の側が承認した事実は今後の教育の自由にとって肯定。
4.それでも、その適否を教育委員会が判断主体として登場しているのは、教育への権力的介入と判断することもできるので、否定。
とりあえずそんなことが考えられる。
小樽潮陵高(大沼寛校長)が、二年生の必修科目である「現代社会(現社)」の授業を「政治経済(政経)」の教科書で行っていた問題で、道教委は二十日までに授業内容を精査し、「『現社』の内容を網羅している」として履修漏れには当たらないと判断した。(北海道新聞2006.11.21より)
1.通常、厳しい教科書使用統制がある中で、別の科目の教科書を承認した点は、教育自由という点から見ると肯定。
2.しかし、この判断は、これ以上の補習を増やしたくないという動因からだから、その動機の不純さ故に否定。
3.だかそれでも、教科書の使用が必ずしも義務でないことを当の教育委員会の側が承認した事実は今後の教育の自由にとって肯定。
4.それでも、その適否を教育委員会が判断主体として登場しているのは、教育への権力的介入と判断することもできるので、否定。
とりあえずそんなことが考えられる。
Posted by mc1026 at
17:52